
昭和5年(1930)、株式会社として鈴木バイオリンは改組します。
時代の流れは厳しく、それでもなお政吉は、経営存続と、製作における情熱は冷めやらぬまま、
バイオリンに一生を尽してゆきます。
そして昭和16年には長男梅雄を社長に就任させ、
名実ともに経営が継承されました。
昭和19年(1944)の1月、政吉は永眠する三日前まで仕事に打ち込んでいたといいます。
事業家というより、あくまでも職人としてバイオリンに人生を賭け、生涯製作を楽しみ抜いた政吉が、バイオリンを初めて製作して120年余り、現在もなおその技術と情熱が受け継がれ生き続けているのです。
現在の本社工場

この像は、日本弦楽器製造の始祖を讃えその長寿を祝う記念として、広く全国に募金をよびかけ完成されました。
ところが日ごとに激化する戦争のため、建立は間際の中止を余儀なくされました。疎開先の恵那工場に運び込まれていた像は、戦後の昭和30年の春にようやく現本社の入り口に移設され、今日に至っています。
胸像製作中の作者長谷川氏と政吉 (1940年代頃)
| 【参考文献】 大野木吉兵衛 浜松短期大学研究論集 24・25号(1981.12、1982.6) |